▼前回取り上げました榎本英剛さんの「本当の仕事」を引き続き掘り下げたいと思います。
▼前回のポイント
■モノの時代における仕事
・・・生計を立てるための手段
■ココロの時代における仕事
・・・自らの存在意義を探求し、それを表現すること
■存在意義とは?
・「自分は何のためにこの世に生まれ、そして生きるのか」ということ
・さらに短縮すれば「人生の目的」、「生きがい」
▼抽象論としてはよく分かるのですが、具体的に「自分の存在意義は何なんだろう?」と考えると、そう簡単に分かるものではありません。
▼では、僕の考えと先ほど挙げた本を基にまとめていきます。
●前提:「仕事とは自らの存在意義を探求し、それを表現すること」
●その意味するところは?
①「自分の存在意義はこれかもしれない」という”仮説を立て”、”表現(行動)”によって”検証”し、”進化”させていく。
②そうやって見つかった存在意義(これは進化するものなので、いわば暫定的)を”具体的に表現していく”ということ。
●①の部分、つまり、”仮説を立て”、”表現(行動)”によって”検証”し、”進化”させていくというのは、一体どうやるのか?
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それは、純粋意欲(=自分の奥底から湧いてくるような「これがやりたい」という気持ち)に従ってみること。
・純粋意欲・・・神様が自分に与えてくれた贈り物で、自分の心の中にある。
・それを見つけるヒント・・・気付いたらいつも自然にやっていたり、他人に促されなくても自らすすんでやったりしていることなど、夢中になったことを考えてみる。
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純粋意欲に従ってみると、次々と新たな純粋欲求が湧いてくる
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それを辿って行くことで、最終的に存在意義に行き着く。
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これが、「存在意義の探求」
▼まとめ
✔ 自分の奥底から湧いてくるような「これがやりたい」という気持ちなれることって何だろう?と考える=純粋意欲のヒント
✔ 「これかな」と思うものをやってみる=純粋意欲に従う
✔ やってみると、次々に「これがやりたい」が生まれてくる=純粋意欲の連鎖
✔ それをやり続けると、いずれ存在意義に辿り着く。
▼いずれにしても「行動」が不可欠なのだと思います。
机の上でどれだけ優れたワークをやっても、ある時ふと「これが本当にやりたいことだ!」と分かるものではありません。
行動によって腑に落ちたり発見していくことが、存在意義の探求には不可欠なのだと思います。